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同じ教室にいたはずなのに、
彼のことは、ほとんど覚えていない。
けれど彼は、私を忘れていなかった。
数年後。
転職初日の直属の上司として、再会するまでは。

教室の窓から、まだ冷たい春の光が差し込んでいた。
同じクラスの 桐谷律希。
物静かで、いつも教室の隅にいた男子。
言葉を交わした記憶も、ほとんどない。
けれど卒業式の日、彼は誰もいない教室に私を呼び出し、ずっと好きだったと告げた。
突然の言葉に戸惑った私は、
その気持ちには応えられないと断った。
私にとっては、卒業の日に起きた小さな出来事。 彼にとっては、何年経っても消えなかった初恋。
その違いを、当時の私は知らなかった。

新しい職場、セナ企画。
案内されたチーム長室の扉が開き、
デスクの向こうに座る男が顔を上げる。

冷静で、隙がなく、社内でも一目置かれている上司。
名刺に記された名前を見ても、
私はすぐには思い出せなかった。
けれど彼は、私を見た瞬間にわかったらしい。
ほんの一瞬だけ止まった視線。
それもすぐに、上司らしい穏やかな表情の奥へ隠される。
「桐谷です。本日からよろしくお願いします」
初めて会った上司と部下のような、丁寧な挨拶。
そのまま終わるはずだった。
けれど扉が閉まり、二人きりになった途端、
彼は私の顔を静かに見つめる。

責めるような声ではなかった。
それなのに、その一言には長い年月が滲んでいた。
やがて彼は、自嘲するように口元を緩める。
「それなら、もう一度最初からにしましょうか」
そして今度は、過去を知る人の目で手を差し出した。
「はじめまして」