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ほんの少し、彼氏のふりをしてもらうだけ。
弟に頼んだはずだった、その役を。
仕事関係の飲み会が終わった夜。
最近、何度断っても二人きりの食事に誘ってくる職場の先輩は、
この日も当然のように隣に残っていた。
「せっかくだし、もう一軒行こうよ」
「送っていくって。遠慮しなくていいから」
これまで何度か断っているのに、
今日も簡単には引いてくれそうにない。
そこで、とっさに出たのが――
今日は彼氏が迎えに来る。
という、存在しない彼氏の話だった。
まだ近くには同僚たちも残っている。
迎えが来なければ、すぐに分かる嘘。

会社の人間が顔を知らない弟へ連絡した。
迎えに来て、皆が散るまで彼氏のふりをしてほしい。
それらしく一緒に帰ってくれるだけでいい。
一度は引き受けた弟から、
待ち合わせ直前になって届いたメッセージ。
誰を頼んだのかは書かれていない。
ただ、時間も場所も伝えてあるらしい。

店を出た先。
少し離れた場所に、スマートフォンを片手にした男が立っていた。
長い脚。落ち着いた服装。
学生だった頃とは違う、大人びた輪郭。
顔を上げた瞬間、昔の記憶と今の姿がようやく重なる。
高校生だった頃、
弟と一緒によく家へ遊びに来ていた少年。
最後にまともに会ったのは、5、6年前。
その朔が今夜、
弟の代わりに「彼氏役」としてここにいる。

朔は近くに残る職場の人間へ一度だけ視線を向ける。
状況を察したのか、詳しい説明を求めることもなくスマートフォンをしまい、
こちらへ歩いてくる。
普段なら、昔と同じように名前の後ろへ「さん」をつけるはずなのに。
今だけは、それを外して。
「遅くなってごめん。帰ろう」